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2011年03月21日

矢嶋作郎

天保10年、徳山藩士伊藤家の次男に伊藤 湊(みなと)という男が生まれた。

彼は、幕末に勤王の志士として活動し、一時幕府によって幽閉の身となる。

しかし、明治元年、彼は徳山藩10代当主毛利元功公の補佐役として、

英国に留学する。留学にあたり、彼は「矢嶋作郎(やじまさくろう」と改名した。

矢嶋とは、日本を表す「八州(やしま)」であり、作郎は新しい日本を創ろう

という志を込めた改名だった。


すると英国で留学中の矢嶋に、政府よりドイツ派遣の命が下る。

明治政府が、新紙幣の製造を最先端技術のドイツ企業に依頼したからである。

矢嶋は現地の責任者となり、その後明治7年に帰国するとすぐに、大蔵省で

紙幣製造の責任者に任じられ紙幣製造工場を設計、建設にあたった。


留学中に様々な先端技術を学び、電気事業の必要性を強く感じていた矢嶋は

その後実業界に転じ、明治16年「東京電燈会社」を設立した。

後の東京電力である。


また矢嶋は、障害者教育や英語教育にも尽力し、学校設立にあたった。

そして、東京電燈会社の社長を退任後は、郷里に帰り下松に居を構える。

矢嶋はここで、和歌に親しみながら余生を送り、歌人としての業績も多かったが、

ついに明治44年73歳で亡くなった。

矢嶋の没後、その土地20万坪は子孫より譲られ、日立製作所や東洋鋼鈑などの

工業地帯となっていった。


矢嶋作郎翁は、遠石八幡宮にも灯篭を奉納しているが、徳山藩の初代と最後の藩主を

祀る祐綏神社に、明治25年槙1本と栂2本を植樹している。

祐綏神社は動物園建設にあわせ戦後現地に移転しているので、今の動物園の中に

植樹されたはずだが、植樹の石柱だけが神社の境内に移設されていた。


この度、矢嶋作郎翁没後百年を記念し、ご親族から同じ樹木を境内に植樹したい、

というお申し出があったのでお引き受けした。

あまり知られていなかったが、この郷土の偉人を顕彰しようと気運が広がり、

実行委員会が組織され、今日、小雨の中ではあったが盛大に植樹祭が行われた。


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「矢嶋作郎」。  この名前に込められた志、気概に感銘する。

大きな志を立てての留学だったからこそ、紙幣製造、電気事業と近代化の基礎を

見事に成し遂げたのではないだろうか。

郷土の偉人の活躍に触れ、多くの人が誇りと勇気を感じたことだろう。

2011年03月20日

福島県へ

15日、徳山商工会議所の臨時議員総会で、震災支援について意見が交わされた。

支援物資についても「すぐ行動しよう」「今は慎重に行動すべき」と、

その時点では結論に至らなかった。


それが、翌16日、会津若松商工会議所が支援物資を受け入れる、という

情報が入った。

受け入れ先が会津。この縁が、行動を加速させたのかもしれない。

直ちに、18、19日で支援物資を集め、会津へ出発することになった。


F会頭は運送業。会社の倉庫に集め、トラックで運ぶことに。

運転は社員さん2名と、新副会頭のM氏と若手議員のH氏。

M氏は、15日に副会頭に選任されたばかり。いきなり大仕事となる。

H氏はM氏の友人で、同行を買って出たようだ。


地元Y石油から提供されたガソリンも一緒に届けられることとなる。

Y石油の社長はM氏とH氏のJCの先輩。すぐに話しがまとまったことだろう。


支援物資を積んだ大型トラックと、ガソリンを積んだ大型タンクローリー、

そして道中この2台の給油を担う小さなタンクローリーの3台編成で、

19日17時前に徳山から会津に向けて出発した。


たった二日間、しかも商工会議所議員にFAXしただけの連絡で、

予想をはるかに上回る支援物資が集まったことに驚いた。

それだけ、多くの国民が心を寄せている証だろう。

私もマスクとカイロを購入し倉庫に持参したが、整理作業には青年部のみんなが

あたっておられた。大変だったと思う。


しかし、16日~19日の4日間で、支援物資が出発するというスピードには、

驚きである。 いろいろなつながり、タイミングを感じる。


今トラックはどのあたりかわからないが、無事に使命を果たしてくることを

祈るばかりである。


福島県の宮司さんからのメールで現状を知った。

「福島は汚染地域という風評被害をとても恐れている」と言っておられた。

行き過ぎた報道や情報によって、過度の心配にならないよう気をつけるべきである。

2011年03月17日

青森の加藤さん

昨日、まちづくり講演会に参加しました。

まちづくり会社が是非来てほしいと頼み込んだ方の講演会でしたが、

講師は青森市から飛んできてくれました。


講師は、『デフレの正体』の藻谷浩介氏が「まちづくり四天王」の一人

と称する 青森市まちづくりあきんど隊隊長 加藤 博さん。


 「念願の新幹線がやってきてこれからと言う時に、

  これから青森は大変になります。でも、頑張ります。

  今日、呼んでくれて本当にありがとう。」


講演で、逆に元気を出せと励まされました。

そして、コンパクトシティーが時代の要請であることを熱く語られました。

「ほんまに熱い人やねえ~」と我々の感想。


被災地では、助けを待つ人、堪え忍んでいる人がたくさんおられます。

その方方のために、救援・支援活動が、関係者の必死の努力で行われています。

被害を受けた原発の現場でも、使命感に燃え、命がけで修復にあたっている人が

います。


 そうした被災した方々の悲しみ、現地の方々の苦労に心を寄せながらも、

 みんなが元気を出す方向に向かって進まなければいけない。

 東北を元気にするためには、みなさんの元気が必要なんです。


加藤さんの温かい津軽弁の講演には、そんなメッセージも感じました。

 
 
地元でも自粛ムードが広まりつつあります。

今日も、何件か相談がありました。

自粛して中止が本当に被災者、日本のためになるのか?

東北を励ます、東北を支援する内容で行えないか?


何事にも、慎重かつ前向きな検討をしていこうと思います。

 


2011年03月13日

お伊勢さん

東北・関東地方を襲った大震災。

被災の方々を心からお見舞いします。

一人でも多くの人命救助を願うばかりです。


今は祈るしかない多くの日本国民も、これから力を合わせて、

被災者支援に立ち向かうと信じています。


実は、12日は京都、13日は伊勢神宮へ行っていました。


12日夕方に我々と合流予定だった東京からの参加者は、

新幹線乗車すぐに地震となり、京都に入れませんでした。


13日の近鉄線も、伊勢の先、賢島あたりは運行をしていないとのことでしたが、

無事お参りを果たしてきました。


伊勢の神宮で、被災地の方々と日本をお守り下さるよう祈りました。

神宮には多くの参拝者がおられましたが、みなさんも同様の気持ちで

お参りしておられたと感じてきました。


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2011年03月05日

花粉症

今日も春の風に乗って、花粉がたくさん飛んでいました。

青空も霞んで見えます。


結婚式で雅楽を奉仕する楽人さんや、駐車場整理の警備員さんや、

結婚式のお客さんと、マスクをした人を見ると「大変ですね」と

同情します。

もちろん、私も屋外ではマスクです。


「花粉症でお話しできる状態ではないので」と、打合せをキャンセルされる

お二人も・・・ 花粉が猛威を振るっています。


私は今年も、ここ数年来飲んでいる、医薬と漢方を一緒にした薬で乗り切ろう

と思っていますが、今年は花粉の量がすごそうなのでちょっと心配です。

一旦症状が悪化すると、その日はなかなか治まりませんからねえ。

人前に出る仕事柄、毎日戦々恐々です。


花粉症持ちにとって、春は、嬉しいような、嬉しくないような。


でも、花粉症になって以来「鼻うがい」を毎日するようになって、

風邪をひかなくなったように思います。

「鼻うがい」はお薦めです。

2011年03月03日

新酒を楽しむ会

今日は、風も冷たく、小雨も降る寒い一日でした。

朝のそうじで、花粉を吸い込んだのか、ゴミ箱はティッシュで一杯に。

鼻もヒリヒリ。

車のワイパーを動かすと、花粉がフワーっと飛んでいきました。

いやな時期になりました。


さて、昨日は当会館で「山口の銘酒十蔵の新酒を楽しむ会」がありました。

新酒を味わい、山口の日本酒を応援しようと、130名の参加がありました。


山口の日本酒は近年好評で、全国的にも注目されています。

その牽引役は、やっぱり「獺祭」(だっさい)でしょうか。

個人的には、地元の「かほり」や「原田」が好きですが、

十蔵どのお酒もすばらしい味で、贅沢な気分になりました。


特に新酒なので、若々しさというか、お酒の息吹というか、そんな感じが伝わり、

生命力を頂いたような気になりました。


山口の日本酒の、益々の繁栄を願います。

どんどん、おいしいお酒を造っていただきたいですね。


山口県酒造組合HP http://y-shuzo.com/member/index2.html